あした晴れるかな〜ちゆは不器用に生きる〜

自閉症スペクトラム、摂食障害、双極性障害とともに生きる大学生。伝えたい思いを言葉に。

早起きした日には

そういえば、今日は3時頃目が覚めて、もう眠れないと思って起きました。

昨日疲れて早く寝たからかな、、それともハイな流れになってきた、、?

気持ちはすごい下がってるんですけどね。

こういう時は読書。読書。

最近は哲学とか読んでます。あんまり今まで興味なかったんだけど、自分の視野を広げたくて、色んな作者の本を買い漁り読み漁り、、

でも、読書してると嫌なこととか忘れられるし、何か悩みに対する解決の糸口がふと見つかったり、気持ちの整理ができたりするからいいですよね。

 

昨日は初めての場所で、たくさんの人と会ったのですが、ちょっと刺激が強すぎました。ディナーコンサートだったのに、ディナーなにも頼めず、笑

大好きな人たちにも会えたのですが、色んな言葉にならない感情がぐわーっと出てきて、胸いっぱい頭飽和で涙だけが出てきました。まずは感情の整理、言葉にすることができるようになりたいな。

どうしよう。

いつも出来るだけ前向きな言葉で、文章終わるようにしてるんですけど、今回はちょっと上手くいかないかもです。

 

帰郷してから、不安定なのですが、

過食嘔吐エスカレートしてきていているようで。周りには気づかれてないようですが、自分では気づいていて気づかないふりをしていただけでした。

今までは、普通の食事で食べ過ぎたと感じた時だけ吐く、ということがメインでした。

が、少し前から吐くこと前提で食べるようになり、

今は食べる量ががどんどん増えて、つまり完全に過食してから吐くように

なってきてしまいました。

 

これはヤバイですか、、??

私の中ではちょっとヤバイなと思っていて…

 

誰もいない時や外出した時は必ずと言っていいほど食べてしまいます。なにがストレスなのか苦しいのかもよくわかりません。

ただ、無心に、苦しくなるほど食べて、吐く。

あまり意識がないというか、記憶がないというか、夢のような感覚の中で。

周りからはどう見えているのでしょうか、歩きながら一心に食べてるあたし。

自分がバカみたいに思えて、死にたくなるけど、それでもひたすらに食べてひたすらに吐く。

 

怖い。自分が、怖い。

あまりにも 悔しくて切なくて、自分にがっかりして、涙も出ない。

 

この前病院に行ってきたのですが、

主治医と話をして、大崩れしないように調節していこう、急に吐くなとか言っても無理な話だからちょっとずつ代替行動を考えていこう、って言われました。

ただ、病院行った後からのこの状況、大崩れじゃないのかなこのままでいいのかなって思うし、そもそも大崩れってどの段階なのかどこまで耐えればいいのかわからなくて。

 

不安で怖くてお薬飲んで。

赤くタコになった右手を隠し、声枯らしながら、無駄に食べ、無駄に吐いて、

夢と現実を行き来しているような感覚で、

何故か今日も生きています。

不調

地元に帰って来てから、ストレス倍増。

もう帰って来たくないなと思うほどです。

まずは父とのこと。

私と父は苛立つところや不安になるところが似ていて、父が怒ったり苛立ったりするのがわかることもあるんです、でも私は縮こまっちゃうタイプ、父は攻撃的になっちゃうタイプなので、どうしても上手くいかなくて。ちょっとズレるとどうもダメ。この前は、父が怒った口調で私に聞いてきたのですが、私にはその威圧感が怖かったのとなんて答えたらいいのかわからなくて、何も言えなくなってしまったんです。

そしたら無視したと思われてまた怒らせてしまって…。

父は私の障害のことや病気のことを全くといっていいほど理解していません。理解してもらおうとも思っていませんが。私が相手を理解して受け入れられるようになれたら、そう思っています。その方が、大人ですよね。笑

 

次に出来ないってこと。

この前、グループを作って私が苦手なことをやることになったのですが、それが本当に出来なくて出来なくて。他人任せな上、一人ノリが悪くてクオリティを下げてしまう。苦手なことに挑戦することは悪くないし、それ自体が嫌なんじゃなくて、人に迷惑かけてしまうことがイヤで。こんなことなら私いない方がいいんじゃないかって。それでも居て欲しいと言ってくれる方がいたので、私はやるしかないと。怖いけど頑張るしかないと。そんな感じで切羽詰まっています。

 

そして人間関係

ってむずかしいですよねー。

地元に帰ってくるといつも悩みます。(大学ではこれといった人間関係を築いていないから笑)

私は右も左も大好きでどちらとも仲良くしたいし、どちらからも可愛がってもらっている。

けれど、左右はちょっと複雑な関係があって。私はその間で振り子のように行ったり来たり。どちらも裏切りたくない、どちらも大事にしたい、そう思うが故、どちらからも距離を置きたいと考えるのは間違っているのでしょうか。今後どう付き合っていったらいいのかわからなくて好きだからこそ苦しくなっちゃいます。

 

そんなこんなで大好きなはずの地元生活楽しいけれど意外と辛いです。

変わる不安と見えない怖さ

私は変化することが怖い。

突然予定が変わった時は、パニックになったり、不安に駆られたりします。

日常の生活ペースが変わるときも不安になります。長期休暇とか、帰省とか。今長期休暇で帰省中なのですが、とにかく帰るのが怖かった!今度は休暇終わって戻るのが怖くなるって分かってます。

 

それから、見えないもの、わからないことが怖い。

皆そうかもしれないけれど。

予定がアバウトではっきりしなかったり、

目的が急になくなってしまったりすると、

どうしていいのかわからない。

それが怖くて仕方ないのです。

 

最近は、

将来のこと、先のことが見えず怖いという気持ちが強くなっています。

高校受験、大学受験と、3年ごとにはっきりとした目標が持て、それに向かって頑張ることができました。

しかし、大学に入学した今、これから先の目標が見えず、

真っ暗な宇宙に一人取り残されてしまったかのような感覚を抱いています。

それは将来に選択肢が沢山あって、まだ決められていないだけで、

幸せなことかもしれません。

でも、私の場合、当面の目標が見つからないと頑張れない、集中出来るものがないと良からぬことばかり考えてしまう、そしてそんな自分を許すことが出来ない…と、悪循環に陥ってしまうのです。

 

だから、

なんでもいいから、とりあえず、

目標を決めるようにと言われるんですけど。

なかなかそれが難しくて。

とりあえずで目標立てても、それに気持ちが向かないから。

気持ちが向けば猪突猛進、それに必死になれるんですけどね。

ただ、猪突猛進になっちゃうと、周りが見えなくなるもんで、自分の疲れに気づけなくてムリしてしまったり、他のことに気を配れなくなったりして、自滅する(笑)から気をつけるようにともよく言われるので、

どっちがいいかはよくわからないです。

 

どちらにせよ、マイペース守りながら、ちょうど良いスピードで走れたらとは思うのですけどね。なかなか難しいですよね。

当面目標が、見つかるまでは、不安の中でも、色んなことやってみて、視野を広く持てたらって思ってます。

 

 

不器用に生きる

私はとても不器用です。

不器用ながら、必死に生きてきました。

 

ちょっとしたことがストレスになって、

なんでもないことが過度に気になって、

原因不明の体調不良になったり。

大事なことが気にならなくて、

必要なことを必要以上にやって、

失敗しちゃったり。

友達付き合いはなかなか上手くいかないし、

新しい環境に行くたびに慣れる為の相当な時間と労力が要るし。

 

こんな自分と長年付き合ってるとそりゃ疲れるし嫌にもなりますよ、

 

でも、

不器用でもいいじゃない

何かを誰かを愛せれば

失敗ばかりでもいいじゃない

何かに誰かに愛されているから

自分は孤独だと感じていても、自分の周りには自分を愛し支えてくれている人がちゃんといる。それでいい。その人たちを大事に出来たらそれでいい。

そう、最近思えるようになりました。

 

ある先生はこんなことを言っていました。

 

壁にぶつかった時、

無理して打ち破らなくたっていいじゃない。

よじ登ったっていい、

避けてもいい、

引き返してもいい

だから大丈夫

 

この言葉は私にとって目から鱗でした。無理して頑張らなくていいんだと、色んな道があるんだと、心が楽になりました。

 

だから、

どんな生き方でもいいじゃない。

紆余曲折どんな道でも、

好きな方向へ一歩ずつ進む。

進めるのは前だけじゃない。

疲れたときは立ち止まって空見上げたりして。

ゆっくりゆっくり進めばいい。

焦ることも比べることもなく。

ただ自分の思うがまま。

そこには器用も不器用も関係ない。

いずれみんなゴールするのだから大丈夫。

大事なものだけ失なわないようにしながら、

それぞれのゴールに向かって、

やりたい放題やっちゃえ!!

 

 

 

 

 

生きづらさ

私の高校時代、記憶にあるのは

生きづらさ を常に感じていたこと。

孤独で、外の世界が遠くて、

周囲のみんなは蚊帳の外、

そんな感覚を持っていた。

 

生きづらさってなんでしょうね。

 

よくわからないけれど、生きづらい。

よくわからないけれど、何かが辛い。

よくわからないけれど、息苦しい。

そんな感じ。

 

自分と社会とのズレや

自分自身の中でのズレを感じたときに

苦しくなってしまう気がします。

 

それは、ある程度成長して、社会で人と関わるようになったからこそ感じるズレなのかもしれません。

私は小さい頃から内気で、なかなか友人関係が上手くいかず、悩んでばかりでしたが、

それでも生きづらさは感じていませんでした。

高校生になって感じた生きづらさはそういうことなのかなと。

 

一年前、自閉症スペクトラムの診断を受けてから、自分が無理をしてもなかなか出来なかったことの理由がわかって少し気が楽になりました。出来ないことや苦手なことを無理してやろうとするのではなく、どう工夫したら苦しくないか考えるという風に味方を変えられるようになり、高校時代に感じていた息苦しさ生き苦しさが少し減ってきた気がします。

 

だから、私が一番大事だと思うのは、

・まずは生きづらさの正体を見つけること

そしてそれを受け入れること。

生きづらいのは悪いことではないと思います。

無理して社会や他人に迎合したり、出来ないことを出来るようにしようと自分に厳しくしすぎたり、、そんなことが生きづらさにつながっていることも少なくないと思います。

 

そして、

・苦しさをどうしたら楽に出来るのか考えてみること

こうしなくちゃ!こうじゃないからだめなんだ!という考え方ではなく、ちょっと視点を変えて。これが苦手なら他のやり方ならどうだろう?これが得意だから活かせないか?と柔軟に考えてみると意外と色んな方法があることに気づけます。そうしたら色んな方法を試し、より自分が楽でいられるものを見つけられたらいいと思います。

自分が楽でいることは、ラクをするとか、甘えるというのとは違います。

 

私もまだ、楽な自分に慣れず、受け入れられない部分も多いけれど、

ゆっくりゆっくり、自分を受け入れて、

生きづらさがなくなっていったらいいなぁと思っています。

良いところと悪いところ

私は欠点だらけの人間です。なんでこんなにたくさんあるの…といつも思います。自分の欠点に背を向けたくもなります。

 

自分の欠点を見つめるということはすごく大事なことだと思います。でも、欠点があるからと卑屈になったり、その欠点から目を背けるのではなく、

その欠点を認めた上で、どう改めたらいいか、考えることが必要ですよね。

時には、自分が欠点だと思っていることも、

武器になるかもしれません。

だから、自分の良くないと感じたことをしっかりと受け止め、客観的にどう対処すべきか考えることが一番大事じゃないかと思います。

そのためには、他人の意見を聞くことも必要となってくるでしょう。

他人の意見は、自分にない見方を与えてくれます。それがどんな意見だったとしても、

その内容に一喜一憂する必要はなく、

あぁ、そういう見方もできるんだ!と思えればいいと思います。

もちろん、内容を全スルーしていいわけではなく、受け入れることも必要だけれど。

 

自分のいいところも同じです。

私は自分の良いところを見つけるのが苦手です。人に言われても、上手く認めることができません。

だから、素直に受け止められるようになりたいと思っています。

自分の良いところを見つめるのも、

より良い自分にするために大切だと思います。

 

それから、他人に対しても。

自分の良いところ、悪いところが見つめられれば、

他人の悪いところは受け入れられ、良いところには気付きやすくなるなるのではないかと私は思います。

 

欠点のない人なんていない。同じように、良いところがない人もいない。

 

自分を受け入れ、他人を受け入れる。

そのことは、きっと自分を豊かにしてくれるのではないかと思うのです。

 

当たり前のようで、なかなか難しい。

私も努力したいです。